暁杜

るろうに剣心 蒼紫巴 蒼操 小説ブログです。

哀路 四

高荷恵は、その午後、神谷道場から、蒼紫の指定した寺へ急いでいた。

戻ってきた剣心や薫たちの手当てをしてから、一週間になる。

上海から上陸した、悪の組織は一網打尽になったようだが、剣心たちがさんざんな目にあって―――しかもそれが、四乃森蒼紫もその一方を担いだとあっては、恵の気がすまない。

せかせかせとした足取りで、寺の山門をくぐり、中に入った。

中の方丈に問題の蒼紫は座っていた。

「また、座禅―――?」

恵は来るなり、切り口上でこう言った。

蒼紫はしかし、作法通りに座っていた。

「座禅を組むのにもいささか飽きたか。今日はお手前を披露しておこうと思う。今生の別れかも知れん。」

「まあ、どういう意味かしら。」

「実は、アメリカに渡ろうと思っている。―――というか、上からの命令で渡米しなければならん。」

「えっ?操ちゃんはどうなるの。」

「つれて行くつもりだ。本人の意思がいやならば、俺も無理強いはしないが―――。」

「あの子のことでしょ。地獄の底までついて行くでしょうよ。私はごめんだけどもね。」

「そうだな。」

恵は蒼紫のたてた茶を飲んだ。

茶の味は蒼紫がそうであるように、苦かった。

恵は言った。

「ねぇ―――ひとつ聞いていいかしら。あなたはどうして―――。」

恵は言いかけた言葉を言おうとして、だまりこんだ。

―――どうして、剣さんを殺さなかったの?

巴という女がいた、という事は、左之助たちの話からおぼろげに恵にもわかった。

そして、それが蒼紫の女だったということも・・・・・。

この人は、ひょっとして――――。

観柳邸で私を泳がせるようにしていたのは、私に巴さんという人の面影を、求めていたのかも知れない。

今、操ちゃんをそばに置いているのも、きっとそうだわ―――。

でも、私も操ちゃんも、その巴さんとは似ても似つかない、おそらくは・・・・・。

だからこの人は、自分に近づく女に対して残酷なのだ。

恵はその時のことを覚えている。

蒼紫が元御庭番衆という身の上である、と観柳邸で知ったとき、彼女は「武士じゃない、ですって?」と言って、蒼紫にもたれかかった姿勢をあわてて正したのだった。

そして袂を振って蒼紫から離れたとき、背中に冷たい視線が突き刺さるように感じたのを覚えている。

あれは、女への殺意だった。

恵は操が哀れだった。

あの刃の上を踏むような瞬間を、操はおそらく幾度も耐えているのだ。

しかし恵は言いかけた言葉を訂正するように、明るく戯れ言めいた口調で言い直した。

「―――ごめんなさい、操ちゃんとどうして離れないのかしらねぇ、って思って。あなた操ちゃんのこと、ほんとに好きなのかしらって。」

蒼紫はよどみなく、用意された答えを読むように答えた。

「操は、好きだ。自分の家族に対して思うようにな。」

恵は大きくため息をついて言った。

「そう。あの子はあなたに対してそう思ってないの、承知の上でそう言うのね。あなたらしいわ。ところで、私に渡したいものって、何かしら?」

「これだ。」

蒼紫は脇に置かれた小さな紙包みの袋を、恵の前に置いた。

「これは・・・・。」

「ご禁制の品ではないが、それに準ずるものだ。抜刀斎の病の進行をおさえる働きがある。」

愕然とした恵に、蒼紫は言った。

「抜刀斎を俺は殺せなかった。だから、そう始末をつける。」

恵はただ、吐き出すように言葉をついだ。

「あなたって人は・・・・・!」

恵は言いつのった。

「生きててほしいの、剣さんに。あなたは剣さんを追い詰めて、死地に追いやって、それでもまだ生きていてほしいのっ。」

「神谷薫がかわいそうだ。俺はあの娘が好きだった。人間としてな。抜刀斎の母のような娘だ。」

「そう―――そういうことなの、そういう・・・・。」

恵は紙包みを膝の上でつかみしめた。

動揺している恵の前で、正座している蒼紫の表情は動かなかった。

                                          ◆

御堂茜は牢獄につながれた、雪代縁に向けて、手紙を書いていた。

縁は王大人の組織に加担した罪で、投獄されたのである。

茜には、何年の刑になるのかは、わからない。

ただ、時々刑務所で会う縁を見るたびに、少しずつ何かが変わってきているのがわかる。

それが、学校の教会でシスターたちが言っている「神の教え」に感化されてきているのかは、茜にはわからない。

ただ、彼女はあの場で、縁が一番かわいそうだと思った。

この人は救いを求めている人だと、思った。

だから、一月に一度の接見の日には、必ず行くようにしているのだった。

雪の降る日、茜はまた縁を見舞った。

鉄格子ごしに会う縁の様子は、茜にはぶっきらぼうだが、どこかで茜を傷つけまいとしているのがわかった。

「縁さん、お元気?縁さんのお姉さんみたいにはできないと思うけど―――毛糸を編んできました。」

「・・・・・・・獄中だから、受け取れねぇな。」

「そう。でもいいの。牢から出たときに、私、縁さんにこれをかけてあげます。」

「・・・・・・・・・・・。」

「手紙、読んでくださいましたか。」

「・・・・・読んだ。ほかにすることがねぇから。」

「そう。よかった。」

「神の教えは俺にはわかんねぇ。神は善人しか救わねぇもんだろ。」

「そんなことはありません。縁さんは、救いを求めていらっしゃいます。そういう人には、神さまはやさしいですわ。」

「俺が救いを―――。」

「縁さんは、お姉さんの仇を取りたいがために、たくさんの人を傷つけました。その罪から救われたいと願っています。」

縁は茜の言葉に、宙に目をさまよわせた。縁は言った。

「俺はそんないい人間じゃねえ・・・・・あんたにはまだ話してなかったかな。俺が大陸に渡ったときのこと。」

「はい。」

縁は遠い目をして言った。

「俺は御庭番衆では下っぱの使い走りしかさせてもらえねぇ人間だったから・・・・・・大陸へ渡ったのさ。船に乗って・・・・・そう、あんたぐらいの歳だったかな・・・・・・食うものも寝るところもなくて、凍え死ぬところを、親切な向こうの商人に助けられた。」

「それが王大人だったのですね。」

「いや、違う。マトモな商売をしている旦那だった。俺はそこで中国語を教えてもらい、大事にされた。恩人だったんだ・・・・・・でもある日、そういうのがうざくなって・・・・。」

「まさか―――。」

「そう、殺したのさ。殺して金を奪って逃げた。その金で、王のところでやっかいになるようになった・・・・・俺はそういう最低の人間なのさ。どうだ?もう接見に来る気がなくなったろう。」

「いいえ。縁さんは、たくさん苦しんでらっしゃいます。過去の罪をよく話してくださりましたね。ありがとう。縁さん。」

茜はそこで立ち上がった。

「またお話しましょう。私が来ても、いやがらないで会ってくださいね。では。」

縁はまぶしいものでも見るように、茜の帰って行く姿をながめた。

最初は、なぜ自分のところに関係のないおまえが会いに来るんだ、と拒んでいた縁だったが、茜はまるで彼の実の姉・巴のように縁に会いに来てくれた。

その様子は、確実に冷え切った縁の心を溶かし始めていた。

何年か先、自分が牢屋から出たときのことを、縁は考えはじめるようになっていた。

その時には今度こそ「新しき仕事をするのです。そして、過去の罪を償うのです。」と、茜は言う。

それが何かは、まだ縁にはわからない。

ただ、姉につながる宿縁のつながりは、蒼紫によって断ち切られた今、自分に残っているものは何なのだろうと、縁は考えるのだった。

故郷もない、家族もない自分に、今たよれるのは茜しかいない―――。

あんな歳の離れた小娘に、と思う縁だったが、なぜ自分を慕ってくるのかわからず、とまどうばかりだった。

そうこうしているうちに、姉・巴のことは、縁にとっては、望遠鏡で覗いた風景のように遠ざかっていった。

「ねえさん――――。」

毎日牢の中で姉に問いかける言葉も、次第に縁にとっては、経文のように意味のない繰言になっていった。

                                        ◆

「結局、幕末からの決着は、ご自分ではくださないんですね。」

瀬田宗次郎がその日すまして言った言葉を、斎藤一は聞き流した。この男のいつもの手だ。

「あの時安慈さんの右ストレートと、斎藤さんの牙突と、どっちが決まるのが早かったんですか?あるいは左之助さんのストレートと。」

「俺だな。」

「やはり、そうですか。」

そういう質問なら、答えるんだな、と思う宗次郎だが、顔には張り付いた微笑みがひろがっていた。

宗次郎は言った。

「ところで、麻薬関係は、うまく収まったんでしょうか。」

「ああ。あれは乗鞍の所轄だからな。俺の指定した倉庫へ連中は行ったのさ。」

そこで、斎藤はマッチで火をすり、タバコに火をつけた。

二人のいる部屋はもちろん警視庁の一室である。

「で、麻薬撲滅には成功したんですね?」

「ふふん。倉庫の中に、くだんの麻薬は積んであったんだが、太ったねずみがその辺を走り回ったので、乗鞍は悲鳴をあげたそうだよ。ヒヨッ子が。まったく千住のあたりはあんな倉庫が多い。俺がつまりそこで『悪即斬』をしたんだよ。」

「でも、見つけたのは蒼紫さんでしたね。軍に横流しの品も、全部蒼紫さんが洗い出して報告したそうですね。隅田川の上をこっそりと、でも堂々と水運で流していたんでしょう?すごいな、あの人は。ああいう人だと、志々雄さんのところでは僕にはさっぱりわかんなかったですが。」

「馬鹿を言え。あのときも、戦艦の横流しで、志々雄を洗っていたんだぞ。あれはそういうスパイ人間だ。昔っからな。」

新撰組とは違うんですね?」

「当たり前だ。あんなのと一緒にされては困る。」

宗次郎はそこで、大きく息を吸い込んで言った。

「実は、僕は蒼紫さんのところで働きたいんですよ。」

斎藤は宗次郎の言葉に目をむいた。

「なんだと。」

「だって斎藤さんは、たいして仕事らしい仕事もしていないじゃないですか。」

「失礼な奴だな。」

「僕の一番は、だんぜん今でもやはり志々雄さんですが、今回のことで僕はあの人にほれこみました。あの人さえいいなら・・・・。」

「それは無理だな。」

斎藤は、うわずった調子で続ける宗次郎の言葉をむげにさえぎった。

「どうしてです?」

「奴はアメリカに行くんだよ。おまえは邪魔だと。俺に昔そう言った。」

「えっ、それいつですか?」

「さあな。一週間ほど先かな。外務省からの御用達だと。」

「ええ?っ、そんなぁ・・・・・。」

宗次郎は思わず声をあげたが、どうにもならないことであった。

警視庁の建物から肩を落として出てきた宗次郎を、階段の下で安慈は待っていた。

安慈は言った。

「これから何処へ行けばいい?」

「とりあえず、北海道に戻りましょう。本当はアメリカに行きたいんだけど・・・・。報奨金がこれっぽっちじゃなあ・・・・。」

実は宗次郎は、斎藤に呼ばれて金を受け取りに来たのだった。

安慈は答えた。

「また北か。」

「そうです。北海道には、元新撰組だった人がいるんですよ。その人から、斎藤さんの話でも聞ければいいなあ・・・。」

宗次郎は空を見上げた。

澄み切った、晴れ渡った青空だった。

                                      ◆

剣心と左之助は、菊の花束を手に、今その寺の墓場の一角に向かっていた。

そこに―――あの偽者の巴の、真新しい墓があるという。

墓を立てたのは、蒼紫だった。

剣心は斎藤から、それを聞いていたのである。

剣心は思った。

あの男はこんなことにも抜かりなく―――拙者が思い至らないところまで手を回す。

左之助はそんな剣心を気遣って、墓の新しい卒塔婆に手を合わせてからこう言った。

「まああいつがこの女を殺したんだからよう。当然ってところか。」

「左之は見ていたのでござるか。」

「俺たちが薫嬢ちゃんを助けに来た時だったかな。やつが首をはねていたのは。無残なことをしやがる。この女はきっと奴の枕元に化けて出やがるぜ。」

剣心は左之助の言葉に、片頬をゆるめて答えた。

左之助・・・・・それはどうでござるか。蒼紫には巴がいる。巴がきっと、守っているのだ。だから拙者にも勝つことができた。拙者は・・・・・やはり、巴には愛されていなかったのでござる。」

「けっ、勝利者よ、ってところか。」

左之助はそうごちると、剣心に向き直って言った。

「それよりも剣心、おまえの体―――。」

左之助、拙者と一緒に大陸に渡ってはくれぬか。」

剣心は左之助の言葉を打ち消すように言った。

左之助は目を丸くした。

剣心が強い物言いをするのは、よっぽどのことだ。

いつも自分を抑えた、穏やかな物言いを、左之助にはするのに―――。

剣心は言った。

「山縣卿の話、拙者は受けようと思う。人々への贖罪、それが拙者に残されたただひとつの道だ。その時できれば左之助に、そばにいてもらいたい―――。」

左之助はその瞬間、万感の思いが胸に迫って、何も言えず、ただ剣心の肩を強くかき抱いた。

剣心に残された未来は少ない―――、いや、限りなくゼロに等しいのだ。

その時間を、まだ剣心は人助けに使いたいと言う。

こんなに傷だらけになりながら―――。

こんな男をここまで追い詰めて、あいつはアメリカなんかに渡りやがるんだ。

あいつは―――左之助はその時、心に浮かんだ蒼紫の幻影を憎もうと思った。

しかし、心のどこかに力が入らなかった。

蒼紫もまた巴を殺されて、心に傷があったから、剣心を殺そうとしたのだ。

その連鎖の因縁のつながりは、左之助には到底踏み込めないものだった。

左之助は剣心の肩を抱きながら、元気づけるように言った。

「剣心、剣心よぉ、俺はなんにもできねぇ男だが、おまえが立派なことは、俺だけはいつもわかっているつもりだからな。」

左之助・・・・・ありがとう・・・・・でござる・・・・・・・・・・・・・・・。」

目を閉じた剣心は、安心したようにつぶやいた。

このところ微熱が続き、体がだるい。

病の兆候はもう出ている。

でも、巴―――君に殉ずることが、今ならば拙者にはできる。

そう、何も為す必要のない、維新の頃ではない、今ならば―――。

剣心は、今は放心する思いでそう思った。

肩を寄せ合う二人の男を、暮れなずむ陽が真っ赤に照らしだしていた。

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