暁杜

るろうに剣心 蒼紫巴 蒼操 小説ブログです。

通暁(一)

同刻篠つく雨の中、傘をかぶった男が一人、湯煙のたなびく下諏訪にある旅籠の中に入っていった。連絡係だ。入り口で合言葉を言い、男は文を中の中年の男に渡した。中で男は文を見た。

「動くか。」と男は言った。闇乃武の辰巳であった。

「辰巳殿、江戸の御庭番衆からの人運びの件で?」

辰巳は後ろで手裏剣をいじっている中條に言った。

「そうらしい。ま、手はずは江戸の頭目から聞かされている。連中は碓井越えのあと、真田忍軍を襲ったらしい。やりすぎたな。この蒼紫という若組頭だが。」

「なるほど。そいつらは京で使う女を連れているのでしょう?」

「そうだ。頭目の話では、わしらが受け取る話になっとる。」

「なぜ真田のやつを殺したんです?」

「さあな。理由はわからん。わしはその女を長州に対する間者に仕立てる話しか聞いておらん。女は自分の旦那の男を京で長州藩子飼いの剣客の若造に殺された。それを落とすのに使うのだそうだ。」

中條はふーん、と言った。

「よくある話ですね。女に仇を取らせるわけですか。」

「ま、そういうことだな。幕府の連中は形から入るものだからな。女はしかしまあまあの上玉だそうだ。わしらはその教育係だそうだ。」

「据え膳は食っちゃいけねぇんですかね?」

中條は言いながら柱に手裏剣を投げた。びし、と音を立てて縦手裏剣が柱に突き刺さった。若者らしく言う中條に、辰巳は含み笑いした。

「それはだめだ。九の一の法が破れるからな。その女には、長州の若者といい夫婦(めおと)になってもらわねばならん。自分を慕う女をはべらせることで男を弱らせるのだ。呉の西施(せいし)の理(ことわり)にもあるようにな。だから、そういうことだ。」

「そいつは残念です。」

と、中條は言ったが、さほど気にしている様子でもなかった。こんなことはいつものことなのだろう。横にいた角田も剣呑そうに言った。

「女は恋仲になったらあとが面倒だ。」

辰巳は笑って鷹揚に言った。

「ああ。その女にはわしらのいい踏み台になってもらわねばな。それでは行こうか。連中がそろそろここに着くころだ。話は伝わっているはずだからな。」

辰巳らは腰をあげた。

 

 

蒼紫らは諏訪湖のほとりにまで来ていた。見晴らしが開けたところで、寂庵は蒼紫に言った。

「わしらには目がついて来ている。ここらで別れた方がよさそうじゃ。」

猩々と癋見が、道端に置かれた石を見つけた。何かのサインだろうか、巴にはまったくわからない目印だった。猩々は言った。

「東に三里の仏(ほとけ)・・・。あの丘に見えている寺です。あそこで女子供を引き渡せと言ってきている。」

「やはりそのまま旅をさせてはくれなかった。思ったとおりの展開になりましたね。」

と、式尉は言った。

蒼紫は答えた。

「刻限までに行かなければ追手が来るが、あそこには俺と般若で行くことにする。連中を片付け、任務を果たしたのち、おまえたちと合流することにしよう。」

「え、できるんですかい?そいつは大変だ。」

と、式尉が言った。蒼紫は答えた。

「おまえたちは巴と縁を守って、甲州街道の方へ抜けろ。」

「合流はだいぶ先になるんじゃねぇんですか?だって、頭目が言った葉霞らの根城の峠は、恵那山にあるんじゃねぇですか。そこまで一緒に行った方が・・・。」

「女の足では、あの山に登るのは無理だ。街道からもはずれているからな。敵の本拠地から遠ざけるには越したことはないのだ。」

寂庵は言った。

「苦渋の選択じゃな。まあわしらで守るしかないわい。しかし引き渡しが下諏訪でというのが気になる。これは・・・。」

罠かもしれんな、と寂庵は思った。蒼紫がそのように考えるのを頭目は見抜いているのではないか。しかしそれも、この蒼紫はおそらくわかっている。それでも巴らを安全な道を歩かせたいのだろう。寂庵は心中でため息をついた。

巴は相談している蒼紫らからは少し離れたところの石の上に座っていた。とうとうここまで来てしまった。巴はそう思った。横にいる縁が言った。

「江戸に帰ったらさ、俺ねえちゃんの作った手料理が食べたい。早く帰りたいよな。」

「ええ・・・・。」

縁は路傍の石を蹴って少しけんけんをした。あれから巴は蒼紫の顔を見ないようにしていた。蒼紫も自分を避けていると思った。それが悲しかった。そして江戸に帰ることができても、その先はどうなるのだろうと思った。はじめて寂庵に会ったとき聞いた話では、さらに北の東北地方に逃げる話をされたことがあった。自分はどんどん流されていくのだろうか、蒼紫から離れて・・・・そう思うと、つらくて切なかった。

寂庵たちが巴たちのそばにやって来た。

「では行きましょうか。あの向こうに見えている一里塚が起点です。そこから別れましょう。」

式尉が言った。道は、田舎なので単なる三叉路であった。江戸へ向かう道、京に向かう道と分かれている。こんな道一本で隔てられる。巴は思ったが、それが現実であった。

一里塚の前で、巴は蒼紫に礼をした。

「お世話になりました・・・。」

蒼紫は頭を下げたようだった。日が傾きだしていた。蒼紫の表情は逆光で巴にはよく見えなかった。自分の名前を美しいと言ってくれた、あの美しい人がそこに立っている。そう巴は思った。その光景を忘れないでおこうと思った。

蒼紫は巴が立って向こうに歩いて行くのを、脳裏に刻むようにじっと凝視していた。たった今俺から離れていくのだな、と思った。昼過ぎにあんなことをしなければよかった。そう思ったがその時はどうしても自分を止めることはできなかった。出来心で、と思う自分だったが、あれ以上のことができる自分ではなかったと思った。巴の心を壊さないにはあれが精一杯だった。もとより自分とは住む世界が違う。一緒にいることはできないのだ。だったら何もしない方がいい。そう勤めてきた。

頭目から命じられて、見張るように言い渡されたのが三か月前、瑠璃波硝子の件の関係者で、情報を持っている女ということだった。巴は平凡な日常にいる女だった。毎朝早い時間に起き、寺子屋に通う縁を寺に送り届け、市場で少し買い物をして帰る。むろん毎日見張っていたわけではない。幾日かおきの定点観測だった。見たところ華美な女ではなかったが、何度も目に留めているうちに、抜けるように色が白いことや、整った目鼻立ちをしていることに気付いた。女を見張れという命令を言われたときから、危ういという思いはあった。そのうち巴の家の前に「忌」の張り紙がつき、巴の婚約者が死んだということを知ったとき、自分の心の動きが喜んでいると知り、蒼紫は己れを責めた。しかしその後巴は見ているうちに、硝子の利権をめぐる騒動に巻き込まれていき、自分がそれを助けることができるようになったことは、蒼紫にとっては願ったり叶ったりの出来事であった。だがその不自然なまでの接近に、蒼紫は頭目の手の平で転がされていると思う。しかし巴をもはや思い切ることはできなかった。それであの街道沿いの雨の古家で、行動を起こしてしまった。抱きしめた巴の体は、柔らかくて温かく震えている雛鳥のようであった。それは己れの術者として幾たびも渡ってきた、剣の上での嗜虐心をあおるものであった。そういった衝動については、蒼紫はあの葉霞によって開眼されて以来、そういうものだという自覚はあったが、特に目に留めて注意していたわけではない。しかし、前夜御沙薙を襲ったとき、いつもの自分とは明らかに違う剣の入りを感じて、手練れの手ごたえがあったことはうれしいと思ったが、それらは巴には決して言えない話であった。増してやそのような理由で巴がそばにいてもらいたい、と言ったら巴は眉をひそめるであろう。頭目などは酒の席で、男は剣であるとするならば、女は男をおさえる鞘であろうと言っていた。その猥褻の意味については蒼紫もわかっていたが、本当はそうではないと蒼紫にはよくわかっていた。自分もそういった鼓舞される衝動に支配されている生き物なのだと思った。

しかしそうは言っても、蒼紫は巴が欲しかっただけなのである。自分が御庭番衆でも何でもなく、若組頭の重責も背負わず、あの巴の死んだ婚約者の立場で済んだなら、「忌」の文字をつけられたとしても構わなかったと思った。巴のために死ぬのなら平凡な凡夫の人生でも構わなかった。それぐらい蒼紫は思い詰めていた。

そのような想いで頭がいっぱいになっていたのだろう、あとから考えると迂闊だったとしか言えない選択であった。蒼紫と般若は指定された山寺に近づいてきていた。刻限は酉の刻暮れ六つ(約18時ころ)であった。寺の石段の下で、蒼紫は剣に手をかけた。明らかに上方に潜んでいる気配がある。

「御頭、私が先に。」

と、般若が言うのを制して、蒼紫は抜刀した。石段を上がって行った先に、仁王立ちの男の影が見えた。男は言った。

「連れの者たちはどうした。おまえではない・・・若造。」

闇乃武の辰巳であった。他に一名を確認した。蒼紫は無言で斬りかかった。辰巳は予想していたようであった。すぐに太刀で受けてきた。笑いながら言った。

「女を逃がしたのか、若組頭?すでに街道には探索が出ておる。ぬかったな。」

蒼紫は瞬間、激怒した。刻限まで待ってこの場に来た自分を呪いたくなった。御庭番衆の習いにあまりにも忠実であった自分が間違っていたのだった。この約束は反故されねばならなかった。それを読めなかった。蒼紫は猛攻した。辰巳は押された。その間にも般若は横で中條と応戦している。

「ぬぅっ、貴様、やるなっ。」

と、辰巳が言った瞬間、辰巳は驚いた。自分の横にいたはずの蒼紫の体が、くの字を描いて放物線で辰巳の体に剣先をかすめたのだった。蒼紫はもう着地して次の動作に移っている。この者、何という身のこなし、やはり頭目が目をかけるだけあって、ただの使い手ではない。辰巳は思った。真田の姫を導術で殺したと聞いているが、それもただの技ではなかったのだろう。

辰巳はしかし、老獪な男だった。蒼紫に「待て、待て」と言った。辰巳は言った。

「貴様のしたことは御庭番衆としては正しいことだ。ただ女を逃がしたのは浅墓だった。そういう気持ちはわからんでもないが。」

と言った瞬間、蒼紫のとびかかった剣が辰巳ののど元にかかった。辰巳を信じられないほど恐ろしい力で抑えながら、すさまじい形相で蒼紫は言った。

「・・・街道に行った仲間を呼び戻せ・・・!」

辰巳は締めあげられながら、苦笑して言った。

「無理だ。女たちの確保に働いている。わしを殺すか、いいのか、かたわれが呼子を吹くぞ。十里先まで聞こえる。呼子が鳴ったら女どもは殺す手はずになっている・・・わしが考えたのではない。貴様の頭目の命令だ。」

「なに?」

その時、古寺の大きな木立の影からあの老人が姿を現した。

「そうじゃ、蒼紫。お前の真意を知りたくてな。」

御庭番衆総頭目の老人であった。老人は言った。

「その剣を納めろ。お前がわしの下した最初の硝子に関する命令を無視せずに、この寺にまで約束通りに来たのはほめてやろう。そうでなくてはな。しかしあの女たちは幕府の下した命令に従ってもらう。おまえがどう思いをかけようと、それは無駄なこと。」

蒼紫はわななく手で、辰巳にかけた剣先をはずした。この老人には技の上ではまだ歯は立たないのだ。致し方なかった。老人は言った。

「おまえができることを今から述べてやろう。かねて言っていた場所で、硝子に関する幕府の朱印状を見つけて回収しろ。できるだけ早くだ。一昼夜をやる。できなければ、女たちは京で用立てるまでもない。その首をつなぐために努力しろ。以上だ。」

般若は思わず横から叫んだ。

「そんな無体なことを・・・・!」

老人は般若に言った。

「無体だと?御庭番衆の命令は絶対だ。その命令を破った者には相応の仕打ちをするのがわが努め。馬をつけてやる。早駆けで行くがよい。おまえひとりでな。」

そして重ねて言った。

「真田の者を殺したことも不問にするつもりはない。おまえとしては考えたつもりだったのだろうが。ではな。」

蒼紫は頭目の言葉を首を垂れて聞いていたが、どうしても一言言わずにはおれなかった。彼にはこの場では恥も外聞もなかった。蒼紫は必死に喉に張り付いた声で叫んだ。

「巴は、巴は助かるのですか?」

蒼紫の若者らしい声はしかし、頭目の老人の心を苛立たせただけであったようだ。

「助かる、だと?貴様のそのような物言い、聞きたくもないわ!」

老人はぴしりとそう言うと、付き人の忍びたちとその場をあとにした。蒼紫にとって、あまりにも残酷な結末であった。

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