暁杜

るろうに剣心 蒼紫巴 蒼操 小説ブログです。

道行(三)

真田の里は、街道筋から外れた、小高い丘の上にあった。背の高い杉の木が輪中の村のように囲っている。当主は洩矢御沙薙(もりやみさなぎ)という少女で、何代も続く真田忍軍の正当な血筋の、頭目を名乗るにしては幼い姫である。しかし冷酷な性格であり、蒼紫も何度か会ったことはあるが、任務以上の感情は持ち得ようがなかった女であった。その女の館に通されて、一行は大きな日本間で対峙していた。真田の姫は、付き人の男から丹の朱杯を受け、着流し姿で脇息に寄りかかっている。接待とはいえ、いかにも蒼紫たちを見下している態度が見てとれる態であった。蒼紫たちは正座して座っている。御沙薙は言った。

「・・・・で。蒼紫、旅の途中らしいが。どこに赴くつもりかな?」

「伊勢に参るつもりです。」

ほう、と御沙薙はわざとらしくあいづちを打ち、答えた。

「その女はもう間者にしたのか?違うか。ただの町人だな。おまえがそのようななりで付き添いをしなければならないというのは、重大なことを秘めたことだな?」

「真田の陣内を通過しなければならないのは、旅の途上わかっておりました。礼を欠いたのはあやまります。」

「わかっているのならよい。私が知りたいのは、おまえの旅の理由だよ。京の翁のところにその女を運ぶのではないのか?」

御沙薙は杯をなめつつ、蒼紫に問い詰め続けている。蒼紫は終始乱れることなく、落ち着いて答えた。

「翁は今回の件にかかわっておりません。真田も同様のことにしていただきたい。」

御沙薙は蒼紫の答えを聞くと、手にした杯を畳に投げた。

「貴様。瑠璃波硝子の利権の話を、この私が知らないとでも思っているのか?おまえは今からその謎を暴き、上様に報告するべく旅を続けている。それであのような追放した連中にも狙われているのだ。違うか?!」

巴は御沙薙の冷ややかな罵声を聞いて、心中はっとした。蒼紫からそのような話はまったく聞いていなかった。とっさに、御庭番衆はやはり、硝子の利権を狙って自分に近づいたのだと思った。そして蒼紫の横にいるのがいたたまれないと思った。

御沙薙は言った。

「蒼紫。ここは取引をしよう。おまえがこの里にとどまり、御庭番衆の権限の一部を私たち真田に預けるというのなら、その女はここを通過してもよい。硝子の利権にも真田を加えてやるというのなら、なおのこといいが。」

「・・・・・・・・。」

「おやだんまりか。まあおまえが口を開くのは、めったにない。一晩返事を待ってやる。歓待してやるからな?」

と、御沙薙は言うと、あごで付き人に指示し、自分は部屋に下がってしまった。

「御頭・・・。」

一行は館の一室に通されている。癋見と火男が不安げにつぶやいた。寂庵は言った。

「仕方がないことじゃな。蒼紫、抜ける手はずは整えられるか。」

「影を使う。」

「それしかないだろう。巴さんらは忍びの心得がない。」

蒼紫は懐から蝋燭を何本か取り出した。

「般若、通用口を確認できるか。俺たちは抜けられるが、巴たちは無理だ。」

「そうですな。」

寂庵は言った。

「そろそろ野分の時期となったようじゃな。」

 

巴と縁は、襖を隔てた奥の間で向き合っていた。縁は言った。

「あいつらなんか相談しているなあ。ねえちゃん、俺たちだけでここを出て行くことはできねぇのかな。」

「仕方がないのです。みなさん、私たちのために戦ってくれているのです。」

「本当かよ?あんなやつ、一緒にいる理由なんかあるの?あいつ、俺たちの父ちゃんがやってた研究が目当てで一緒にいるんだよ。だったらいる理由なんかねぇよ。」

巴は惑乱する気持ちを抑えながら、必死に弟に言い募った。

「そんなことを言ってはなりません。今だって、猩々さんが私たちのために怪我をしたでしょう?迷惑をかけているのです。」

「迷惑?あいつらが勝手に俺たちについてきて、ねえちゃんのことさらって・・・・そうだって葉霞さんも言った。俺はさ、両方の言い分を聞いて、俺なりにちゃんとわかってる。俺だってもう大人なんだ!」

「縁・・・。」

縁はすっくと立ち上がると、涙を振り絞って叫んだ。

「俺だってねえちゃんが殺されないようにって考えてるんだ!ねえちゃんはあの蒼紫ってやつが好きなんだろう?!ひどいや、あんなやつ、死んだ清里さんのことだってもう忘れているんじゃないか!」

「縁・・・・っ。」

その時襖ががらっと開いた。巴はあっと驚いた。中に立っていたのは、寂庵ひとりだけであった。巴は言った。

「あの、他の方たちは・・・・。」

「みなこの館をすでに抜けた。来なさい。ここに影が用意されておる。これはあんたたち二人の形代(かたしろ)じゃ。」

巴はそれを見た。白い布の塊が部屋の真ん中に置いてあった。

「こんなもので・・・。」

寂庵は答えた。

「あんたは夜店の市で、錦影絵(にしきかげえ)というものを見たことはあるかね?あれと原理は同じじゃよ。ただ忍びの術であんたたちが部屋の中でずっと座っている、そのように見える。これはまあ、そうしたものじゃ・・・。」

「どうしてこの館に来なければならなかったのでしょうか。」

「あんたには理解できないじゃろうが、幕府の御威光が昔の戦国の世のように戻ろうとしているのじゃ。もはや幕府は一枚岩ではない。地方の群雄がそれぞれの縄張りを主張し、あんたのように札をかけられた者が通過する際には、何かをよこせと言ってくる。今回の事はまあそうしたことだったのじゃよ。」

「それでは私たちのために・・・・。」

「いやいや。元はと言えばあんたの家がかわいそうな目に会っていたからじゃよ。わしゃあんたに同情している。縁くん、君にはつらいことをしてしまった。もう少しの辛抱じゃ。これからここを抜けて信濃国の下諏訪にまで出れば、甲州街道に再び合流する。そこからあんたたちは江戸に戻りなさい。」

「えっ、でも。」

「あんたは最後までいる必要はない。あんたが持っているはずの硝子石の袋は、今はもう蒼紫が持っている。それさえあればいいのじゃよ。あんたは江戸で名前を変えて暮らすといい。江戸につけば、そのような手はずがあるはずじゃ。」

「・・・・・・。」

「元はと言えば御庭番衆の頭目が蒼紫に命じた始末からじゃった。逆らうことはできないのでな。形だけここまで旅をしてもらった。あんたには気の毒じゃが・・・・弟さんのこともある。わしらのような連中とは、関わり合いにならない方がいいのじゃ。」

寂庵はそう言うと、巴たちを促して部屋を出た。裏口へと進んで行った。巴はすっかり心が死んでしまったようになり、足取りも重くなった。何のために私は今ここにいるのだろうか。いや、考えてはいけない。巴の横の縁はしかし、すっかり上機嫌であった。

「おじいさん、下諏訪にまで行けばいいの?」

「そうじゃよ。途中まではわしが送ってやる。」

「うん、ねえちゃんよかったね。」

巴は言わずにはおれなかった。

「あの、でも、先ほどの猩々さんが怪我したようなことが何度もあるのではないですか?」

すると寂庵は面白そうに笑った。

「ああああいうことがその、甲州街道の帰路の道中にあると?まああんたはそう思うな。あんたがあれの横にいたから、ああいうことになった。あんた一人では何ほどのこともない。」

「でも、あの方たちが危険な目に合われます。」

「あんたは人がいい。あれはそうした任務についている男じゃから、切り離して考えるべきだ。要するに、あれにはあんたが安全な場所に行くように、右から左へ送り届けただけの話なのじゃ。そうしたことは、あれの日常じゃから、いちいち感傷に浸っている暇などない。まあそうした世界は江戸に帰ったら忘れることじゃな。」

巴は「そうですか・・・。」と口の中でつぶやいたが、目に薄い涙が自然に沸いてくるのを抑えることができなかった。

「・・・ねえちゃん?」

縁は巴に少し気配を感じたが、すぐにそっぽを向いた。姉のこういうなよなよとした態度は、縁は好ましく思う時もあったが、いらだつことも多かった。

巴は意気消沈しながらも、ふと気づいたことを寂庵に言った。

「あの・・・・先ほどの戦いのとき、私たち兄弟の人相書きが出ていると敵の者が言いました。それは、大丈夫なのでしょうか。」

寂庵は答えた。

「それはわしらがこれから無効にする。蒼紫が瑠璃波硝子の件を報告できれば、その人相書きは意味のないものになる。すでにあんたにかけられた嫌疑の一部である、秘密の石はわれわれが握っている。用済みということになり、あんたたちにかかわりあう時間も惜しいものになる。さて、ここからだな。」

寂庵は木戸を開いた。

裏口は闇に静まり返り、不気味なほど何の気配もない。すでに時刻は夕闇を過ぎており、館は黒い影になって山のふもとに眠っていた。巴は先ほど見た御沙薙という少女の様子を思った。これはたぶん罠、いえ、そんなことはない。後ろを振り返った時、今までいた遠くの部屋に明かりがともり、障子に人影がふたつ影になって幻燈のように見えていた。あれであの少女はだまされるだろうか。無理だ。巴の脳は呻くようにそう考えた。あの少女はすぐに見破る。今まで出会ってきた女の忍者たちと、あの少女は同種の生き物だ。何よりも蒼紫がすでにあの館にいない。あの少女は一晩とどまるように蒼紫に言った。蒼紫はその約束をたがえている。

巴たちは街道に向かって暗い道を降りだした。ひゅん、とその時巴の頬の横を何かがかすめた。巴は手で触った。血が少し手についた。小さな刃物が飛んできだのだ。巴ははっ、と驚き、とっさに縁の手を握りしめた。

「来たようじゃな。」

寂庵は手にした仕込み杖を抜いた。刃渡りが1メートルほどの長い細い剣である。先ほどの戦闘でも使っていたようであるが、巴はあまりよく見ていなかった。

「時間稼ぎというほどでもなかったが・・・・道は開けた。あとは二人羽織じゃ。姫街道を降りるは道中膝枕・・・・歌うは笙(しょう)。」

寂庵はそう言うと、小走りに走りながら、剣を振り出した。道なりに黒い影が数名、倒れていくのが見えた。その先に、一人の黒い少女が立っていた。少女は背中から剣をすらりと伸ばしながら引き抜いた。少女はつぶやいた。

「老人。おまえの時は過ぎた。」

風のように少女はまっしぐらに突き進んでいく。楽し気に白い歯をこぼして笑っている。巴は惑乱した。私はこの少女に斬られる。紙のように斬られる。その時巴はあっ、と思った。いないと思っていた御庭番衆のうちの般若が盾となって少女の前に現れ、瞬間一撃を交わした。御沙薙は笑ったようだった。私にはどれほどのこともない、という風だった。般若をやり過ごし、次に火男、癋見の順に御沙薙は切り結んでいく。しかし彼らは御沙薙の突進を止める態まではせず、道標のように御沙薙は式尉まで斬った。これは幻覚?しかし御沙薙の突進が少し緩んだようである。だが寂庵に向かってすごい速さで御沙薙は移動してきている。目指すは間違いなく私だ、巴はそう直感した。御庭番衆たちは御沙薙を防御できなかった、そして寂庵さんでは無理だ、殺される、蒼紫は私を助けてくれない、そう思った瞬間だった。

ガッ、と二艘の剣が空中から鋭く飛来して、寂庵の持つ剣と交差して御沙薙の体に入った。

「貴様・・・・・っ。」

御沙薙は我に返ったようだった。寂庵は言った。

「遠円望(とおえんぼう)の効果はあったようじゃのう。あの蝋燭の光におびき寄せられて・・・・蛾のように直進するとは愚かじゃ。上ががらあきじゃったわい。」

蒼紫が御沙薙の上に蝉のように乗っている。ばしゅ、と両剣を引き抜いた。空間に血の雨がぱっ、と舞い散った。

「そん、な・・・・あお、し・・・・っ。」

御沙薙はようやくそれだけを言い、地に崩れ落ちた。瞳孔を見開いたまま、御沙薙は死んでいた。

巴はへなへなと尻もちをついた。あまりのことに腰が抜けてしまったのだった。蒼紫は影のように横に立っている。御沙薙を冷たく見降ろして言った。

「利権の話を知っているから、消す必要があった。」

寂庵は言った。

「そうじゃな。まあそれがわかっただけでも、あの館に招き入れられたのはよかったことじゃわい。では行くとするかな。巴さんや。」

縁は泣き出しそうな顔になっている。巴にすがりついて言った。

「ねえちゃん、ねえちゃん・・・・。」

癋見は巴ににこ、と笑いかけて言った。

「あ、立てます?こういうこと、下諏訪にまで行ったらなくなりますから・・・。」

巴は必死で首を縦に振って答えた。

「は、はい。」

蒼紫は無言で巴に片手を差し出した。巴はようやくの想いでそれを手に取った。

蒼紫の手は今勤めを果たしたせいか、暖かかった。

 

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